有限会社いわてにっかコミュニティ企画

めだか

岩手県盛岡市のデイサービス / 生活介護事業所 / ヘルパーステーション / 住宅有料老人ホーム / 児童デイサービス / 相談支援事業所

めだかについて

赤ちゃんからお年寄り、
障がい者も共に生きあう社会をめざして

代表取締役 吉田 ひさ子
(有)いわてにっかコミュニティ企画
代表取締役 吉田 ひさ子

私は、盛岡市生まれで、3人の子供の母親でもあります。会社は2社に所属しており、1社は岩手日化サービス(株)です。夫が創業者で私は6年間代表をし、現在は息子に承継しました。住宅機器の修理工事から、合併浄化槽の施工販売・維持管理・産機空調の業務をしており、令和3年には50期を迎えます。

そして、もう1社の(有)いわてにっかコニュニティ企画は介護事業として、平成19年に立ち上げた会社です。デイサービスと、ヘルパーステーション、有料老人ホーム3ヶ所、障がい児の放課後等児童デイサービスを3ヶ所、相談支援事業所、さらに最近では生活介護、訪問看護ステーション、就労継続支援B型をやっています。施設の名前には全て「めだかの・・・」と入っています。

私の住んでいる地域は旧都南村というところで、1992年に盛岡市と合併になりました。旧都南村は三つに分かれており、そのうちの乙部に会社があります。北上川の河東地区と呼ばれ、さらに四つの地区からなっています。2,900世帯で人口8,370人という地域です。

私は1981年4月に岩手日化サービス(株)に入社して、1983年に結婚、翌年長男が生まれ、子育てに入りました。家にいると、子供会、交通安全母の会、農協婦人部、農家組合、自治公民館など、あらゆる役員が回ってきました。PTAは小中高と経験をさせていただきました。後になってその経験が自分にとって、大きな宝物だと気づくことになります。

地域を知るために~地域情報誌「やさら」の発行

1996年に転々としていた本社を、夫が生まれ育った場所に建設することになりました。これを機に仕事へ復帰しました。最初に手掛けたのは組織づくりでした。毎月の部長会議をはじめ、中堅の社員を育てるために経営品質委員会を社内につくり、コンサルタントに頼らない独自の視点でアセスメントを行い、自分たちで会社を変えていくことにしました。

1997年、夫は岩手同友会で経営指針を学んできました。1年目はただ発表しただけ、2年目は部長と合宿して作成、3年目は全社員で合宿して経営計画をつくりました。社員教育に関しても岩手同友会開催の社員研修や幹部社員研修、経営者大学などにも参加しました。全国行事には幹部に参加してもらっています。そんななかでも同友会の理念の中にある「地域とともに」の意味が分かりませんでした。事務所も転々としていたことから地域を感じることができなかったのですが、夫の地元に事務所を建設したことで、地域を強く意識するようになりました。同時に、地元のことを知らなかったと気づかされました。地域に貢献するには、まず地元を知らなければいけないと、地元情報誌「やさら」の発行に取り組みました。取材を通じて地域が少しずつ見えてきました。この時からお年寄りとの関わりが始まっていきました。

異業種からの出発“断らない介護”

設備工事の会社から異業種の事業を始めることになったきっかけは後継者問題でした。夫である社長からバトンタッチするのは、私か営業部長か―そんな社長の迷いに振り回されることがイヤになりました。自分がやりたいことは何かと考え、これまでのさまざまな役員の経験から、「人と関わる仕事なら私にもできる。人と関わる仕事をしたい」と強く思うようになりました。

ただ、介護の仕事が見えていたわけではありません。そんな折、2003年に大阪で開催された第10回全国女性部交流会(現・女性経営者全国交流会)に参加し、「けま喜楽苑」の理事長、市川禮子氏の記念講演に大きな感動と衝撃を受けました。高齢者の人権を尊重したケアを実践している報告に、“・・・してやる介護”のイメージが打ちのめされました。

さっそく岩手同友会女性部会の中に「ひなげしの会」を開設して、介護の施設見学を開始しました。そんななかで「富山型民間デイサービス」の情報を知りました。身の丈にもあっていて、なによりも地域に密着したものであることに魅力を感じ、2年後の開設を決断し準備を始めました。

まずは岩手日化サービス(株)の仕事の移譲を始めました。そして同時に2級と1級のヘルパーの資格を取得して、実習で私のめざす介護を探りました。また、準備期間中に介護ボランティアとして「地域の茶の間」を開設して、地域のお年寄りの方々の声をたくさん聞きました。 「富山型民間デイサービス」とは、富山の3人の看護師が病院での介護に限界を感じ、家庭的な雰囲気のもとでケアを必要とする人たちの在宅を支えるサービスを提供したいと開設した事業所です。民家を改修した小規模な建物で、赤ちゃんからお年寄り、障がい者を含めて対象者を限定せず、地域の身近な場所でデイサービスを提供したこの取り組みは、全国に広まっていきました。困っているのはお年寄りだけでなく、地域には子育てで困っている方も、障がいをお持ちの方もいます。それなのに「あなたはダメよ」では、地域で仕事をさせてもらう意味がありません。そこで行きついたのがこの、“断らない介護”の「富山型民間デイサービス」でした。

「めだかのデイサービス」スタート

2007年4月に通いだけのデイサービスをはじめました。家庭的な雰囲気を大切にしたいと築50年の民家を借りてのスタートです。1ヶ月目は利用者ゼロ。ボランティアで以前お世話をさせていただいた施設に掛けあって、寝たきりのおばあちゃんに無償で来てもらいました。1ヶ月が経つ頃、ご家族から人らしい表情が出てきたと驚かれました。そうして2ヶ月目からポツポツと利用者が増えていきました。

私がめざす介護は、まさしく「生きる、暮らしを守る、人間らしく生きる」をしっかりとやることだと思っています。その上で、三大介護である「食事をきちんと、入浴をきちんと、排泄をきちんと」を重視することが一番の基本だと考えています。入浴にしてもベルトコンベア式ではなく、個浴で、恥ずかしいと思うところはタオルをかけたりして直視しないということを意識しています。

排泄時も同様です。どんな重度の認知症の方であっても恥ずかしいという気持ちを持っているという思いからです。それぞれの方に沿ったケアをしています。おむつの方であれば下着で過ごせるようになっていただける、それが私たちにとっての目標であり、実現もできています。古民家の持つ落ち着く環境と、小規模多機能の持つ関わりの濃さが、次第に利用者さんに変化をもたらしてきました。ここで事例を紹介します。

事例1 「死にたい」から「この命惜しくなった」

他の施設に入所していて比較的元気な方でしたが、施設の制限が多く次第に気力がなくなっていきました。そうして食事も取らなくなり、「近くの北上川に飛び込んで死にたい」 と言うまでになってしまったため、緊急的に「めだか」にショートステイを依頼されました。

開設2ヶ月後のことでした。スタッフから猛反対を受け悩みましたが、“断らない介護” をすることを目標としてきたことを思い出し、受け入れました。そうすると認知症の症状を感じさせないほど活動的になっていきました。ある日、食事がおいしいと言いながら「この命、惜しくなった」と話されるようにもなり、今では施設のなかでも頼もしい存在になりました。

事例2 利用者だけでなく介護者のケアも

ご主人が10年前から脳の障がいを発症して介護を必要としている上に、遺伝性のため、お二人のお子様も13歳と15歳で発症してしまいました。お母様の心労はピークになってうつ状態になり、安定剤を服用するまでになったため、ご主人だけ「めだか」を利用したいと相談を受けました。しかし私たちは、お母様の心労を回復させ、元気になっていただくことが一番だと考え、家族ごとお引き受けすることにしました。すると、引きこもり気味だった家族が、「買い物にいきたい、外に出たい」とお話するようになるまでになりました。

事例3 重度の認知症から驚きの変化

話せない、歩けない、自分で食べられないという重度の認知症の方で、大きな施設の利用がメイン、「めだか」は週1回ほどの利用でした。数ヶ月経って3日連続のショートステイをすることになりました。3日目の晩に話せないはずのS氏が「暗い」、「寒い」と言葉を発しました。しかも翌朝、柱をつたってお気に入りの掘りこたつまで歩いてこられました。そして、食事も全介助のはずなのに、自ら食べ始めました。話す言葉も単語から文章になり、会話をしながら声を出だして笑うなど、目を見張る変化に今ではスタッフもみんなで喜びました。

事例4 気難しい方も笑顔に

さまざまな問題行動があり、受け入れ先がなくなった方がいました。最初は表情が暗く、気難しさもありました。そんな方でも「めだか」では断らないのがモットーなので、お引き受けしました。被害妄想的なものがあり、自己中心的で常に人とぶつかり、ひどくなると食事を拒否します。キーワードはお風呂が大好きなことでした。根気強く関わっていく中で、笑うことが多くなりました。今では彼の笑顔が逆にスタッフを癒してくれるほどです。

事例5 居場所をつくり、落ち着きを取り戻す

デイサービスが苦手でなかなか行きたがらない状態でしたが、徘徊がひどくなり救急車騒ぎになり、試しに「めだか」を利用することになりました。ある日、ご自宅でいなくなったとSOSの連絡が届きました。すぐに駆け付け、「めだか」にお連れしたら落ち着かれました。それを機に、毎日の利用となりました。「めだか」に居場所を作ってあげようと、昔の働いていたころの写真などを飾ったところ、みんなが大笑いするくらいのパフォーマンスをするほどに変化しました。お孫さんから感謝のお手紙をいただき、本当にうれしかったです。

開設した際、私以外にスタッフ3名ではじめましたが、最終的に全員が辞めてしまいました。その原因は、私が本社の仕事や会合が多くデイサービスを不在にすることが多かったこと、また私の介護に対する想いを伝えきれないばかりか、私の思いが強すぎてスタッフにとっては責められている感じがあったのではないかと思っています。

その反省から2年目は新卒者を2名採用し、安定していきました。8年連続で新卒採用を行っています。業界的にもスタッフ不足が言われていますが、6割は社員やパートさんからの紹介で来てもらっています。今では高校の新卒から最年長80歳までのバラエティな顔ぶれです。

看取りまで考えた、老人ホームの建設

デイサービスを開設して1年が過ぎた頃の話です。地域のSさんは早くにご主人を亡くし、女手一つで鉄 工所を経営しながら、4人のお子様を育てられました。しかし、転倒したことがきっかけパーキンソンを発症、車椅子生活になってしました。さらに、面倒を見ていた息子さんも突然ガンで他界、家では面倒をみられない状況になってしまいました。そこで、お嫁さんと一緒に納得のできる施設を探していました。

Sさんは、「めだか」を開設する前にはじめた介護ボランティアの「地域の茶の間」で唯一の介護が必要な方で、私たちに介護の仕方を教えてくださいました。また、地元情報誌「やさら」で第1号のインタビュー候補の方でした。親戚ではありませんが、私にとってはとても関係の深い方です。当初は重度の方のデイサービスは想定していませんでしたが、「Sさんはこの地を最期の地としてきたはずなのに、今さら他のところへ行くのはおかしい。どんな方も住みなれた地域で暮らせるようにと言ってきたのに、いまさら遠くに行かせたくない。後悔しないために、この方のために、家族もSさんも納得のいく老人ホームをつくろう」と決心しました。そして、重度の方も想定した設備を整えることにしました。

そうして、無謀ではありましたが夫の理解と協力で総工費約1億円の施設を建設しました。 それが住宅型有料老人ホーム「めだかの家」です。建設にあたっては、ベテランの大手企業に頼めば楽だったのかもしれませんが、地域の中小企業が経験を積んで育つことが一番だと思い、本日座長を務めてくださっている桜田さんにお願いしました。経営指針書を創る会で関わっていたので信頼してお願いできましたし、私の介護への思いを全面的に汲んでいただいた建物になったと思います。木造でかつ広い施設のため、許可を取るのに苦労しましたが、最後は役所も木の良さを認めてくれました。

看取りについてですが、緊急の場合は救急車で病院に搬送されてしまうため、ご本人の意思とは関係なく一人病院で亡くなるというケースが多くなってしまうのが現状です。 私たちは最後まで利用者さんと一緒にいたいのですが、ご家族の考えが優先されます。あくまで老衰の場合ですが、ご家族の理解が得られれば皆で看取りをしてあげたいと考えています。昔は子どもを自宅で産むのはごく自然なことであったのに、今は病院でないと産めないと思う方も増えています。同様に、自宅での看取りも自然なことでしたが、今は難しくなっています。ですから私たちは、施設で亡くなりたいと思っている方には全力で介護させていただく、ということで日々向き合っています。

予想外の新規事業「めだかの児童デイサービス」

「めだかのデイサービス」の建設をきっかけに皆に知られるようになり、託児も頼まれるようになりました。しかし、自主事業のため、費用は利用者の全額負担となってしまい、ご家族の負担が大きくなってしまいます。

そこで、日中一時支援事業(日中一次支援事業:障がいを持った人が日中一時的に施設でのケアを必要とする場合に利用できるサービス)の申請をすることにしました。認定された施設は利用者が1割負担で施設を利用できるという制度なのですが、この認定をきっかけに障がいを持つお子さんの紹介を受けるようになりました。それほど利用者は多くないだろうと、高齢者向けのデイサービスと兼務だったのですが、対応しきれなくなり、新規事業として児童デイサービスをはじめることになりました。

地域の自立のために

3ヶ月に1回、地元情報誌「やさら」を発行しています。

2100世帯に新聞折り込みで配布、その他に郵便局、地元の病院、公民館、銀行に常時設置、小中学校にも配布しています。

現在18年目に突入しました。地元学というのは、ひとことで言うと、地域の宝物さがしです。電車もない、バスも1時間に1本という地域です。ないことを「ない、ない!」と言っても何もはじまりません。

地域にはこんな宝物があるということを知っていただきたかったのです。また、地域のお年寄りを紹介することは、地域の歴史を語ることになるんですね。ですから、地域を知っていただくことと、地域を誇りに思っていただきたいという思いで始めました。これを孫に伝えたいんだ、ということでいままでのバックナンバーを揃えていてくださっている方、次の号を楽しみに待って応援して下くださっている方が多い媒体です。「人生いろいろ」というコーナーで地元のお年寄りにインタビューをし、生まれた時から今までの人生史を綴っています。また、地元学として地域の宝を紹介するからには勉強しなければということで、第一人者の先生をお招きして講演会を開いたところ、屋号が残っているとの指摘をいただきました。今しか残せない、ということで屋号の由来などをまとめた本を出しました。地元の新聞に取り上げられたことから、地区以外の方から注文が入るようになりました。これをきっかけに、若者からお年寄りまで地域のことに興味をもってくれればと思っています。

住民のネットワークを企業にもつなげていきたいということで、「地元企業ネットワーク」と称して2010年に30社集め、月1回会合を設けています。地元にある長年続いたお店が次々と潰れていく現状もあり、これ以上地域の企業をつぶしたくないという思いから、世話人となる企業をお願いして、企業ネットワークを構築しました。そうすることでお互いを知り、仕事を地域でまわすようになりました。

地域めぐりコースを作ったり、看板を設置したりして、地域を知り、みんなで楽しめるイベントを企画するまでになりました。同じ地域だから共にやれることを考える、地域の困りごとから、新しい仕事づくりへとつないでいきたいと考えています。

「やさら」創刊10周年の時に、地元学の先生を再度お招きして、そこで宿題をいただきました。現在「地域の願い、期待、希望」「困りごと、悩み、課題」を地域の住民から集めて、取り組めるものはないかと検討してきました。そのひとつが、ワイナリー事業です。

行政に一方的なお願いをするのではなく、一緒にパートナーとして地域の問題を解決し、願いが叶う地域づくりを図り、地域の自立をめざす、その一助になればと思っています。

補足

施設経営に関して、私のように異業種からの立ち上げで全くの素人であり、経理しか知らなかった者でも「人を大切にしたい」「最後まで人間らしい暮らしをさせてあげたい」という思いがあれば、どなたでもできます。同友会の「人間尊重の経営」の考えがあれば、どんな業種からの転機でもやれます。

教育学者の大田堯先生から、「中小企業こそ、福祉をやる意味がある」という言葉に、大変勇気づけられました。ただし、肝に命じなければいけないのは、介護の業界は、雇用は生んでも生産性がないということです。

私の想いの強さは、自由にやらせてくれる夫の存在と、命をつなぐ3人の子供たちの存在です。私が死んでも子供を通して私は存在します。出産と子育てで、人としての大役を果たしたと思っています。家族を中心に生きてきて、そろそろ人の役に立ってから死んでいきたいと思っています。

日本は大変な借金国なので、将来さまざまな制度が崩壊していくでしょう。そんななかで、昔の「結の精神」、何があっても地域で助け合って生きていく。それが、地域の自立につながっていくと考えています。

また、縦社会は管理しやすいかもしれませんが、一方で障がい者は障がい者、老人は老人の施設と括ってしまうのは、弊害があると感じます。障がいを持った方や認知症の方も、地域で当然のように皆が認めあって幸せに、豊かに生きていけたらいいと思っています。自分も老いていく道であり、悔いのない生き方をしたいので、これからも微力ながら楽しくがんばっていきたいと考えています。

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